黄金の世代 4
採金鉱夫の多くは、熟達した腕を持っていました。
伝えられるところによると、このためにダービーシャーの村々はさびれ、鉛鉱業はほとんど壊滅状態に陥っていました。
この他、コーンウォールやサマーセットからも鉱夫達がやって来た。その中には、当時をさかのぼる激動の10年間に形成された価値観を持った鉱夫もいました。
金の産地においても、英国チャーチスト運動で定義された民主主義や、労働者の権利に関する演説が行われました。
アイルランド人鉱夫は、英国の圧政そして不当と思われる法律に抵抗する伝統を持ち続けました。
こうした影響は、不安定な社会を作る一因となり、オーストラリア政府が金の採掘を免許制に切り替える原因ともなりました。
不安材料は短期聞のうちに高まりを見せ、1854年12月には、不成功に終わったものの、ユレカ砦で暴動事件をおこす引き金となっていました。
しかし一般の人々の関心は、新参移民の社会的地位の高さに集中し、鉱夫達の急進主義にはそれほどの関心が集まらなかったのです。