移民の生活
1840年代のオーストラリアには、宗教の世界にも派閥主義がはびこり、また様々な宗教論争がおこり、混沌とした状況に陥っていました。
長老派教会の指導者J・D・ラングは、急進的な共和主義者でオーストラリアの自由独立を主張しました。
ラングはまた、アイルランドローマカトリックに対する憎しみをむき出しにした偏屈者でもありました。
ラングにとって、アイルランド移民の「真のねらい」は、以下のものでした。
アイルランド人のねらいは、オーストラリアに住む、身分の卑しいイングランド人、スコットランド人のプロテスタントに、ローマカトリックの女性を嫁がせることに尽きます。
異教徒雑婚とう、狡猜で策謀に満ちた手段を用い、オーストラリアをカトリック教化しようというものでした。
1840年代後半を迎えた植民地社会では、新風として吹き込まれた創造的姿勢、価値観同様、こうした古くさい偏見が根強く残っていたのです。